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名古屋地方裁判所 昭和49年(行ウ)16号 判決

原告 神野哲久

被告 津島税務署長

訴訟代理人 棚橋隆 渡辺宗男 ほか二名

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一  本件訴は出訴期間徒過により不適法であるとの被告の主張について検討するに、本件贈与税の賦課処分等に対する取消訴訟の出訴期間について相続税法上何らの定はなく、専ら国税通則法一一四条により行政事件訴訟法一四条の適用があるものであるところ、同条一項は取消訴訟の出訴期間は処分又は裁決のあつたことを知つた日から三箇月以内に提起しなければならないとし、同四項において、右第一項の期間は審査請求があつたときは、その審査請求をした者についてはこれに対する裁決があつたことを知つた日又は裁決の日から起算すると定めるのであるから、この場合三箇月の出訴期間は裁決があつたことを知つた日又は裁決の日を第一日として期間計算をなすことは法令用語の解釈として当然である。このことは例えば国会法一四条、一三三条、行政不服審査法一四条一項、四五条、国税通則法七七条、一一一条一項、地方自治法一四三条四項、二二九条三項等の用語例と対比しても明らかである。

原告は、期間計算にあたり初日不算入は民法上の原則でありまた初日を算入することにより出訴者の権利行使を制限し(人権保護に欠けるという。なるほど取消訴訟における出訴期間およびその計算方法は、行政行為の公益性と当事者の救済、権利保護とをどのように調和させるかによつて定められるとはいえ必ずしも民法上の原則に拘束されるものでないし、また、およそ期間計算の方法は法律技術的に決せられるものであるから、審査請求をした者について裁決があつた場合、三箇月の出訴期間について特に、原告主張の如く裁決のあつたことを知つた日又は裁決の日の翌日から起算しなければ著しく当事者の権利保護に欠けるとする実質的理由は格別ない。従つて原告の主張は理由がない。

そして本件各処分が昭和四九年三月二六日付でなされたことは当事者間に争がなく、〈証拠省略〉によれば同月二八日右裁決書の謄本が原告の住所地津島市天王通り六丁目五五番地へ書留郵便にて配達されたことが認められこれに反する証拠はない。してみると、格別の反証のない限り右日時に右裁決書は原告の了知しうべき状態におかれたものということができる。

ところで、原告は、昭和四九年三月二八日に配達された前記裁決書謄本は原告の父浅義がこれを受領し、原告は同日は家をあけ翌二九日も外出していたため右裁決書の存在を知つたのは同月三一日ごろであると主張する。しかしながら、〈証拠省略〉によれば、原告は大学時代を除きほぼ現住所地にある父浅義の居住建物に同居し、大学卒業後は同人の関与する会社に関与しているのであるが、昭和四五年四月に結婚してから右建物と同一敷地内(広き約一八〇坪)にこれに隣接して建てられた二階建の別棟に居住しており、右二つの建物は廊下伝いで連絡されていること、住民票上は、原告およびその妻子は依然として父浅義と同一世帯を構成していること、右二棟の敷地の出入口は原告家族と浅義家族の共用であり、とくに原告家族専用のものは設けられていないこと、郵便受は一箇所しかなく原告の留守中にきた郵便物は書留郵便も含めて父浅義の家族(使用人も含む)等がこれを受領していること、本件各処分について、従来原告は父浅義と相談して税務署などとの折衝を重ねていたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

右認定事実によれば、原告の父浅義は原告より原告宛にきた郵便物を包括的に受領する権限を与えられていたものということができるところ、同人が昭和四九年三月二八日前記裁決書謄本を受領したことは原告も自認するところであるから、同日をもつて原告が右裁決のあつたことを知つた日と認めるのが相当である。

二  してみると、本件訴は、昭和四九年六月二八日に提起されたことは記録上明らかであるところ、右は、原告が前記裁決の存在を知つた日である同年三月二八日から起算して前記法定の三箇月の出訴期間を徒過して提起されたものとして、不適法というべきである。

よつて、原告の本訴は不適法として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田義光 窪田季夫 小熊桂)

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